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イタキ島のミケーネ文明時代

魅力的な街です。一度行ってみたいな。

イタキ島に最初に人が住み着いたのは新石器時代後期(紀元前4000年〜紀元前3000年)である。住民たちの出自はわかっていないが、建物、壁、道路の跡から、古代ギリシア時代初期(紀元前3000年〜紀元前2000年)まで、生活が続けられていたことはわかっている。前=ミケーネ文明時代(紀元前2000年〜紀元前1500年)には、住民の何人かが島の南部に移住した。発掘された建物や壁は当時の生活様式が原始的なままだったことを示している。


ミケーネ文明時代
ミケーネ文明の時代(紀元前1500年〜紀元前1100年)、イタキ島の古代文明は最盛期を迎えた。イタキ島は周囲の島々を従えたケファロニア国の首都となり、当時の最も強力な国の1つと呼ばれた。イタキ人は地中海の遙か遠くまで勇敢に遠征する、すぐれた航海者・冒険者とみなされた。

ホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』は青銅器時代のイタキにいくらかの光を照らすかも知れない。この2つの詩は一般に紀元前8世紀から紀元前6世紀の間に作られたと言われるが、ベースになっているのは古い神話や詩的な伝承である。英雄オデュッセウスの描写、およびオデュッセウスがイタキや周囲の島々、本土を統治していたことは、当時の政治地理学の記憶を残していたのかも知れない。

しかし、ミケーネ文明が終わって以降、イタキの影響力は衰退し、近隣の大きな島の支配下に入った。


ヘレニズム時代
古代ギリシアの全盛期(紀元前800年〜紀元前180年)、コリントス人はこの小さく不毛の島を放置した。島の北部と南部で自立した組織だった生活が続けられた。南部では、アエトス地域にAlalcomenaeという町が作られた。歴史的に重要な価値を持つ、この時代の遺物がたくさん発掘されていて、その中にはイタキの名やオデュッセウスの絵を刻んだコインがあり、島が自治されていたことを示している。

紀元前2世紀にイタキ島はローマ帝国に占領され、その後、東ローマ帝国の一部となった。12世紀から13世紀にかけては、ノルマン人がイタキ島を統治した。

時代や征服者たち、周囲の状況で、島の人口は増減した。ヴェネツィア共和国の時代まではっきりした記録はないものの、ミケーネ文明の時代から東ローマ帝国の時代まで、住民の数は数千人で、その大部分は北部に住んでいたと信じられている。中世の間、人口が減少したのは、海賊の侵略の連続によるもので、そのせいで住民たちは山間部に居住区を作って住むことを余儀なくされた。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月20日 18:46に投稿されたエントリーのページです。

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